海外に行く若者が減っていると聞いたのですが、若いうちは何でも見てやろう、の精神で無理をしてでも思い切って海外に行ってもらいたいです。
旅行は良いですね。気分転換ができ、また日常にもどるとやる気がでてきます。これが海外旅行ですとさらに非日常を体験できます。
高校の頃、小田実の『なんでも見てやろう』を読んで海外に興味を持っていました。本の内容は色々な国を貧乏旅行した旅行記のようなものだったと思います。
私が実際海外旅行に行くことができたのは、大学の卒業旅行でした。就職にめどをつけた後アルバイトを増やし旅行資金を蓄えました。予算は50万円ぐらいだったと思います。行きたいところはヨーロッパでしたので、「地球の歩き方」を購入して穴の開くように見ていました。その頃の記録はもうないので、なくなりそうな記憶で思い出をつづります。
●はじめての海外旅行はイスタンブール
旅行は45日間程度のバックパックで、フィンエアを使い、成田からヘルシンキ経由でイスタンブールに入りました。初めての海外が中東色濃いトルコで、おまけに夜中に到着したため、「どうしよう・・・」と思いました。同じ便でイスタンブール入りした学生達とタクシーで街に入りホテルをとったことを覚えています。
トルコは親日的ですので、レストランに入るとすぐに親しくしてもらえました。格安ホテルを紹介してもらい、友達になったトルコ人と時間が合えば近くを観光し、数日滞在しました。一緒にイスタンブールに入った学生は、ドイツから帰ってきたという親日トルコ紳士に、お金が必要で融通してと、旅行資金の一部寄付したそうです。日本人は身体が小さく、カモと思っているのでしょうか。私もバザール等の市場をぶらついていると、後をつけられているのが分ったので、振り向いてジロリと睨んだことがあります。そいつは目を逸らしながらどこかにいきました。
ボスポラス海峡やトプカプ宮殿はきれいでした。日本にはない雰囲気です。
計画ではイスタンブールからアテネにエーゲ海を渡ろうと考えていましたが、トルコとギリシアの仲が最悪で一発触発の状況でした。パリで爆発事件やエーゲ海クルーズが襲われている時代であり、船での移動はあきらめ、飛行機でアテネを訪問した次第です。
1年ぐらいしてからトルコで仲良くなったトルコ人から絵葉書が届きました。たぶん返信したと思いますが、どこかにいってしまいました。でてこないかなあ。
●ギリシアでばったり
ギリシアはやはりパルテノン神殿です。アテネの小高い丘の上にあり、歩いて登りました。大理石でできた建物は崩れ落ち、いい具合の遺跡らしさを出していました。興味をもったのは周りにあったお墓です。本人をモチーフにした石像などがあり、見ていて新鮮味がありました。
ギリシアは観光国家ですので、旅行者を大切にします。私のような片言の英語でも辛抱強く聞いて応えてくれました。エーゲ海の島に行き、島を探検しようと考えエーゲ海クルーズのツアーに参加することにしました。迎えに来たバスにのるといきなり声をかけられました。なんと高校の同級生が乗っているのではないですか。こいつも卒業旅行のようでした。そいつとはその後も度々高校の同窓会であったりします。
エーゲ海の島に行くと、単車を借りて島を一周します。空と海が真っ青です。おまけに、港では新鮮な魚介類とワインで一杯やれます。時間が全く流れていない状況です。
また、アテネのレストランで話したイラクの紳士は土木設計技師のようで、フセイン大統領の顔写真入り腕時計を自慢していました。
●南欧
アテネからイタリアにはフェリーで移動しました。イタリアのかかとの港町につき、ローマを目指そうと電車に乗車しましたが、ついたのはほんとに南端の街でした。方向を間違えたようです。しょうがないので、ホテルに泊まり、周辺を散策しました。古代の街の風景が残り、きれいな街でしたが、名前を忘れてしまいました。
南欧はローマからモナコ、バルセロナ、マドリッドまで行きました。ローマはコロッセオやカラカラ浴場跡、トレビの泉など有名どころを観光しました。コロッセオで大理石にすわってボーっとしているのを同じゼミのヨーロッパ組は見ていたようです。後で、ウィーンやロンドンで会った時に聞きました。
そして、地中海沿いに西に移動し、ニース、マルセイユ、バルセロナ、マドリッドに行きました。ニースでは冬なのに海で泳いでいる人がいてびっくりしました。マルセイユはブイヤベースです。パンが美味しかったので何個もお替りしました。バルセロナはやはりサクラダファミリアが圧巻でした。塔にも上ることができ、色々な高さから見ることができました。
マドリッドはやたら騒がしかったです。街を散策している時、よくドライバー同士が言い合いをしていました。道を譲れ、譲らないでしょうか。また、やたら馴れ馴れしく、ホテルに入ったらおばさんが日本人がいるよっと部屋に連れていかされ、寝ている日本人をたたき起こし紹介してくれました。お互い迷惑でしたけど。
マドリッドからはまた東に向かって、ピサやフィレチェ、ベネチア、ウイーンまで足をのばしました。ベネチア行の夜行電車の中では、同席したイタリア人がやたらタバコ?大麻??を進めてきまして、これまた迷惑な奴でした。
ウイーンではばったり大学のゼミ生3名と会うことができました。情報源が一緒なので行くところはたいがい同じです。ウイーンは物価が高いと脅されていましたので、泊まらずパリを目指しました。
パリは外国人には冷たく、英語は大嫌いと聞いていましたが、かなり親切にされました。風貌が中東系のように見えるからでしょうか。ルーブル美術館を堪能しロンドンに行き、また大学のゼミ生が泊まるホテルに潜り込み、ヘルシンキに戻りました。
●フィンランドサウナ
ヘルシンキは冬なので当然雪だらけです。島にバスで観光にいったのですが、凍った海を走るバスの数百メートル先では船が氷を割りながら進む風景には驚かされました。
この旅行の裏テーマは温泉でした。イスタンブールのトルコ風ふろを体験し、仕上げにフィンランドサウナで締めようと考えていました。
イスタンブールではやたらがたいが良いオヤジがいるお風呂に行き、じゃばじゃばしてきましたが、あまり印象に残っていないません。フィンランドサウナは湖畔にたたずむものではなく、時間がなかったのでホテルのもので済ませたので、これまた日本のサウナとあまりかわりません。まあ、どちらも現地で体験したとうことで納得しましたが、日本の温泉の方がいいですね。
●美術館めぐり
バックパックでは街をうろうろするのですが、大体は美術館巡りを目的としていました。。ギリシアでは名もない美術館がたくさんありましたし、シャガールやピカソ、ルーブル美術館にも行きました。本物の絵画をたくさん見ましたが、どれだけ自分の中に入ったのでしょうか。しかし、そのかいもあり今でも美術館によく行っています。とくに、地元の大原美術館は好きですね。息子が美大に入ったのもこの因果かもしれません。
こんな旅行はもうできません。バックパックは若い時に体験したいですね。 have a nice trip